1999年のアメリカ映画。
主演はトミー・リー・ジョーンズとアシュレイ・ジャッド。
監督は「ドライビング・ミス・デイジー(1989)」のブルース・ベレスフォード。
「ドライビング〜」はモーガン・フリーマン演じるタクシードライバーとジェシカ・タンディ演じる気の強い婦人との交流を描いた映画で、当時のアメリカの黒人差別(現在も根強く残っていますが)を映し出しながらも、2人の強くなっていく信頼関係が心を熱くさせる名作でした。
この「ダブル・ジョパディー」の物語の骨子はタイトル通りの「ダブル・ジョパディー(法における二重処罰の禁止)」と言えばまあそれはそれなのですが…。
私ポッカすぐるは法学部出身ですが、このテーマについて深く語れないのが何とも残念なところですw
私はもう一つ、「女性の強さ、労働市場への進出、シングルマザーの増加」が大きなテーマだと思っています。
80年代から90年代にかけて、アメリカでは企業が女性を活用する動きが目立っていたようです。
特に90年代以降、アジア系やヒスパニック系と呼ばれる人々がアメリカへやって来る事により(所謂"人種のサラダボウル"を助長するもの)、企業側も多様な人種への労働の場の解放の必要性から、白人男性だけでの雇用が難しくなった事もその原因の一つのようです。
また、90年代以降のアメリカはシングルマザーの増加から福祉制度も変化していたようで、この映画にはこうした背景があるように感じられます。
映画冒頭では、アシュレイ・ジャッドは旦那さんの扶養の元穏やかに暮らしています。
その後旦那による罠に嵌められてしまい刑務所へ入りますが、そこに存在する女性のみのコミュニティから様々な事を学び、自立していきます。
そうして「法律」を利用して旦那に立ち向かっていこうとするのです。
加えて、この映画では子どもに対する母親の愛情も描かれています。
すべては愛する我が子の為。
そこに父親の姿があろうがなかろうが、女性は子どもを育てていけるのだと。
その女性の「逞しさ」がシングルマザーの増加に繋がるのでしょうか。
トミー・リー・ジョーンズは保護観察官。「逃亡者」といい私の大好きな「ノー・カントリー」といい、彼の役柄は警察関係ばかりw
まあほぼアシュレイさんメインの映画ですが、トミーさん流石良い味出してます。
この頃はもみ上げ長め。
アシュレイ・ジャッドがヒロインに選ばれたのは、女性の「逞しさ」を醸し出していたり、何処かアメリカ人らしくない要素を含んでいるからではと勝手に推測したり。
「逞しさ」で言えば、少し前ではジョディー・フォスターなんかもそんな類ですね。
逞しい女性が増えたからこそ、所謂「草食系男子」的な男性も増えたのでしょう。
でも私はどちらかと言えばあまりこの言葉が好きではなく、「男はこうあるべき、女はこうあるべきだ」という言葉が、文化や地域が築いてきた見えない圧力のように感じてしまうのです。
「女性は専業主婦」のような感覚は少なくとも私にはあまりありません。
時代とともにそうした偏見も無くなって、住みよい社会になるといいですね!
以上、心の何処かで専業主夫になりたいポッカすぐるの考察でした。
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